『文學界』2024年3月号、津野青嵐氏の「『ファット』な身体」を、興味深く読みました。
「身体」に限らず、私達が思い浮かべた言葉って、他者にも通用する抽象性を帯びている言葉と、「あんたにはどうせ解らんばい!」っていう自分だけの言葉(書いているように、多分に感情が強い)があるように思います。
その匙加減を計りながら、自分に向けて使ったり、他者に向けて使ったりしながら「生きている」ように思うのです(随分と乱暴な言い方ですが)
で、この「身」ですが、存在としたら、どうしようもなく自分事(「この身」をもって生まれてきてしまった)なのに、なぜか、「その身」から、「あんたにはどうせ解らんばい!」と突き放されている気が拭えません。
そうか、この「身体」も、言葉と同じように、他者が横にいる「身体」と、自分だけが想っている「身体」の中にいて、「身」自身も、「私」が横にいる「身」と、「身」だけの「身」の中に「生きている」のかもしれません。
津野氏の文章は、そんな「『ファット』な身幅(!)」を持った言葉が転がり、今後、どう増殖してゆくのか、はたまた溶けてゆくのか、とても楽しみです。